坊がつる讃歌
前回、坊ヶツルのお話をしたので、今回は『坊がつる讃歌』のお話。
 昭和27年夏、あせび小屋で三人の学生によって「坊がつる賛歌」
が生まれた。
九州大学にいて、九州山小屋の会に所属していた松本征夫、草野
一人、そして私は夏場の山小屋の管理をまかされ、宿泊者の手助
けをする一方、一か月余を山々に登り暮らしていた。だが、雨の
日は沈殿である。
所在なさから生まれたのが「替歌」だった。
 元歌は広島高等師範学校(現在の広島大学)の山岳部歌である。
私が高校時代に山岳部の顧問教諭に教わったものを口ずさんでい
たのを、歌詞を置き換えて九重の歌にできないかと言い出したの
はだれだったろうか。またたく間にできあがった。これを会報に
発表、同じ会員の野田宏一郎が採譜、編曲したのが、いつの間に
か山仲間で歌われるようになった。玖珠でバンドがレパートリー
に加え、バスガイドが歌うまでになった。
一、人みな花に酔うときも
  残雪恋し山に入り
  涙を流す山男
  雪解の水に春を知る
二、石楠花谷の三俣山
  花を散らしつ篠分けて
  湯沢に下る山男
  メランコリーを知るや君
三、ミヤマキリシマ咲き誇る
  山はピンクに大船の
  段原彷徨う山男
  花の情を知る者ぞ
四、四面山なる坊がつる
  夏はキャンプの火を囲み
  夜空を仰ぐ山男
  無我を悟るはこの時ぞ
五、深山紅葉に初時雨
  暮雨滝の水音を
  佇み聞くは山男
  もののあわれを知る頃ぞ
六、町の乙女等思いつつ
  尾根の処女雪蹴立てては
  久住に立つや山男
  浩然の気は云いがたし
七、白銀の峰思いつつ
  今宵湯宿に身を寄せて
  闘志に燃ゆる山男
  夢に九重の雪を蹴る
八、出湯の窓に夜霧来て
  せせらぎに寝る山宿に
  一夜を憩う山男
  星を仰ぎて明日を待つ
九、三俣の尾根に霧飛びて
  平治に厚き雲は来ぬ
  峰を仰ぎて山男
  今草原の草に伏す
 流行り始めた時から、三人にとっては気恥ずかしかった。
「賛歌」としたのも替歌だったからだ。
だが、芹洋子がステージの乗せる段階で「讃歌」となり、
歌詞の一部も一般向けに少し変えた。広島でのルーツ探しで
原歌、原曲の来歴がはっきりしたのはありがたかった。
NHK「みんなの歌」に続いて紅白歌合戦にも登場した。
松本はその著『山 探検 フィールドワーク』のなかで「替
歌なのに、えらくはやってしまい、何とも調子が悪い次第で
ある」と述べている。
梅木秀徳著「九重山博物誌」より
 この歌は昭和15年 神尾明正作詞 竹山仙史作曲による
元広島高等師範学校(現広島大学)山岳部の部歌として誕
生しました。
元歌は広島高等師範学校の葱花(ぎぼう)勲先生から梅木
秀徳氏に伝わっています。
 このエピソードは梅木氏の著書にあるとおりですが、あれ
よあれよという間の出来事だったのでしょう。
しかし時を経ても、哀愁を帯びたそのメロディーは、すばら
しい詞を得たことにより、歌う人、聴く人の心に深い感動を
与える名曲として、今も愛され歌い継がれています。
山男たちは、山の一夜のキャンプの火を囲み、語り合い、笑
い合い、時には涙しながらこの 『坊がつる讃歌』を歌ったの
でしょうね。九重の山々に深くこだまする歌声が今にも聞こえ
て来るようです。
2009.03.08早春の坊ヶツル
     早春の「四面山なる坊ヶツル」    2009.03.08撮影
大船山ミヤマキリシマ
     山紅に大船の… (坊がツル讃歌版)
秋の大船
     ひときわ美しい「秋の坊ヶツル」